Twitterでイマジナリーフレンドの花京院を作り始めました、膝野まえ(@hizano_mae)です。
イマジナリーフレンドの件は置いといて「ブログで何か書きたいけど、何を書けばいいのかわからない。何も書けない」と悶々としていました。
なので思い切って「ブログ書けない」って記事を書くことにしました。
ブログは書きたいけど…
「あ~ブログ書きたい!」って気持ちはあるんですよ。
でも、気持ちだけあるけど、頭の中が整理できてなくて何の具体性もなかったり。
あるいは「これ書きたい!」と思っても、インターネットの海に放流していいのか微妙な内容だったり。
そもそも、パソコンを立ち上げてブログを書けるような体調じゃなかったり。
具体的に書きたいことがない
「ブログ書きたい」って気持ちは私にとっては「何か食べたい」に近いんですよね。
要は「○○を書きたい!」という具体性がないんです。
「今日はイタリアンを食べたいな」じゃなくて「今日はとりあえず何か食べたいな」なんです。
ただ食欲とは違い、ブログって『どこかから摂取する』のではなく『自分から創造する』もの。
自分から働きかけるって、すごくエネルギーを使うんです。
だから「何か書きたい!」と思っても、「書くネタがない…」で終わってしまうこともままあります。
Twitterだと無限に呟けるんですけどね…100字くらいならもはや脊髄反射で言えるのに…
公に書けるような内容ではない
いざ「○○について書きたい!」と思い立っても、公にしていいか微妙な内容のときがあります。
いや別にそんな変なことじゃないんだけど。
いやごめんちょっと嘘ついた、たまには変なこと考えてる。(具体的に何が変なのかって言われてもちゃんと思い出せないけど…)
たとえば「人でなし」と思われるような内容とか? どんな?
そういえば、ずっと書きたいなって思いつつも全然書いたことない(はず)のものが『親はこうあるべき』論。
「親はこうあるべき…というか、こうした方がいいので、これができてない親は子供に悪い影響があると思う」って書いてみたい。
とはいえ、別に私は教育学をかじったわけじゃありません。
自分の周りを見てとか、自分の実体験に基づいたことしか語れないし、そもそも親になったことがないので、すごく上から目線になりそうだなって思ってます。
だからなかなか書こうと思えないってのもあります。
(まあ自分で「親はこうした方がいい」って思ってはいるものの、自分でそれが実践できるとは到底考えられないので、つまるところ本当に理想論なんだよね)
ブログを書ける体調ではない
たまにあるんですけど、そもそもブログを書ける体調じゃないときがあります。
いわゆる、お布団もしくは床と友達状態。
そんなときは寝転がりながらスマホをいじってます。
ブログを書くときは基本的にパソコンなのですが、体調が悪いときはパソコンに向き合う姿勢をとることすら辛いです。
いっそのこと「ブログ書きたい」という記事にしたら意外と書けた
「あ~何か書きたい~でも書くことがないよ~」と思い、「いっそのこと、ブログを書きたいけど書けないって記事にしちゃえば!?」と閃いた(?)今回。
意外と記事が書けて驚いています。書いてみるもんですね。
締めの挨拶が思い浮かばないので、最近私がTwitterでやっているイマジナリーフレンドの花京院を紹介して終わりにします。
「ったく君は、高校生になっても寝坊癖は治らないんですね💢」「人間そんなすぐ変わるわけないじゃん💢」とくだらない言い合いをしながら、食パンを口にくわえて高校まで走りたい(高校の入学式に遅刻しそう)(花京院と私は幼馴染)
— 膝野まえ💜プリンセス/エンジェル/審神者/ブロガー (@hizano_mae) September 28, 2019
花京院のことは「典(のり)」って呼んでます。以上。