そこまで平成に執着していたつもりはない。
でもいざ平成が終わるとなると、なんだか寂しくなってきた。
なぜかといえば、私の中に「平成」があり続けたから、なんだと思う。
私は平成の世に生まれた。
それも平成の2年とか3年とか、そのくらいの時期に生まれた。
なので新しいコミュニティに入るとき、そこに平成生まれがいないこともあった。
だからだろうか。大人と出会うたび、「平成」という肩書きに注目されてきた。
小学生のときの全校集会で、校長先生は「ここにいる生徒のみなさんは全員平成生まれなんですね」と微笑んでいた。
中学校の社会の先生は「みなさんはもう平成なんですね」と感慨深そうだった。
会社の人は「ついにうちの部署にも平成がきたのか」と声をあげた。
どこにいっても「平成」であることを見られてきた。
いつの間にか「平成」は私のアイデンティティにもなっていた。
私が生まれてから28年間。ずっと「平成」が、私の中にあり続けた。
さて。そんな「平成」もあと少しで終わる。
「新しい時代の幕開け」が待ち遠しい。
そういえば20世紀から21世紀になるのだって、「新しい時代の幕開け」だったはずだ。
けれど今のこの高揚感は、20世紀から21世紀になるときの比ではない気がする。
(21世紀になったときのことは、かなりうろ覚えだけどね)
こんなにも気分が高まっているのは、やはり私の中に「平成」があり続けたからで。
振り返ってみれば、私にとって「平成」は掛け替えのないものに、なっていたんだなって。思う。
平成が終わって令和が始まるのは、とても楽しみだ。
今までありがとう平成、さよなら。
これから出会う人たちに「きみ令和生まれなの!?」と驚いてしまうことが、たくさんあるんだろうなぁ。うん。