恋愛小説()をよく読みます、膝野まえ(@hizano_mae)です。
ドラマ『きのう何食べた?』が本当に良くて…良くて…
シロさんとケンジを通じて、「愛」について考えさせられたなぁって…なった。
そんなわけで、普段から恋愛小説を好んでいる私が。
『きのう何食べた?』から感じた、『愛』の在り方についての考察を述べたいと、思う。
『きのう何食べた?』から学ぶ『愛』とは
まず簡単に、ドラマ『きのう何食べた?』についておさらい。
このドラマは、弁護士事務所に勤めるシロさんと、美容師として働くケンジの、男性同士のカップルを描いた物語。
彼ら2人の日常を描き、そして『愛』を教えてくれる物語。
そう、『愛』を教えてくれる物語。(大事なことは何度でも言う)
かといって、ただ単に「幸せハッピー、恋愛って最高!」というわけじゃない。
『愛』とは永遠ではないけど、確かに人を幸福にしてくれるものでもある。
そういうことを教えてくれて、考えさせてくれる物語だった。
他者から侵害を受けてしまうもの
『愛』とは、他者から侵害を受けてしまうもの。
物語の序盤のシロさんを見ていると、自身が同性愛者であることに対して、かなりの引け目を感じていることがわかるだろう。
シロさんは職場において、自身のセクシャリティを隠している。
また、家の外でたまたまケンジと出会ったときも「あまりくっつくとゲイだと思われる」と気にしていた。
なぜシロさんは、ここまで「自身が同性愛者であること」を隠したがるのか?
それは、自身のセクシャリティが周囲にバレてしまえば、自分が生きづらくなってしまうからだ。
(作中においても、小日向さんの恋人ーーわたるくんも「ゲイについての風当たりは強い」とこぼしている)
シロさんを見ていると、『愛』とは他者から侵害されてしまうものなのかと、悲しくなる。
他者から侵害されてしまうから、シロさんは必死に、同性愛者であることを隠しているのだ。
不確かで不安定なもの
『愛』とはとても不安定だ。永遠ではない。
ケンジという恋人がいるにも関わらず、シロさんは、小日向さんと初めて出会ったとき、ほんの少しだけ「いいな」と感じている。
そのうえシロさんは「小日向さんから告白されたらどうしよう」と少し期待している部分もあった。
(無論そんなことはなかった)
そしてケンジは(シロさんと付き合う前のことではあるが)過去に浮気をしたことがある、という。
シロさんとケンジに限らず、『愛』は不安定なのだと見せられる描写はいくつもある。
弁護士事務所に勤めるシロさんのもとには、離婚した夫婦だってやってくる。
更にはケンジが勤める美容院の店長は、客と浮気していた。
このように『愛』とは、些細なことで揺らぐこともあれば、とても不安定なものでもある。
永遠の愛なんて存在しないのだろうな。そう思わせられる。
人を幸福にするもの
『愛』には悪い側面しかないのかと言えば、そんなことはない。
シロさんとケンジの間に存在する『愛』は、確かに2人を幸福にしている。
ケンジがいるからこそ、シロさんは料理を作る。
佳代子さんから果物をもらったシロさんは「ケンジが喜ぶだろう」と喜ぶ。
そうしてシロさんとケンジは、2人で楽しい時間を過ごす。
最終回で、ケンジにお願いされたシロさんは、2人で可愛いカフェに行った。
自分たち以外のお客さんはみんな女性だが、気にしないとばかりにケンジもシロさんもスイーツを楽しむ。
かつてのシロさんなら、可愛いカフェには行かなかっただろうに、それでもなぜカフェに行ったのか?
それは、シロさんも、ケンジに幸せになってほしいからで。
シロさんとケンジに介在する『愛』は、確かに2人を幸せにしている。
『愛』は永遠じゃないけど、幸福を与えるもの
『愛』は必ずしも人を幸せに導くわけじゃない。
ときには差別に見舞われることもあれば、永遠に続くわけでもない。
でも『愛』は確かに、人を幸福にしてくれるものでもある。
ドラマ『きのう何食べた?』を見て、私は『愛』をそのようなものだと感じた。
これからもシロさんとケンジが同じ食卓を囲めますように。