晴れてる日は太陽を浴びてる、膝野まえ(@hizano_mae)です。
風が吹いてる日や雨が降ってる日は家にこもってるんだが、ハメハメハ大王みたいな生活だな…
令和が丸1年経ったので、思ったことをつらつらと書いた。マジでただの感想。
2019年4月30日はまだ平成だった
2020年4月30日は、いわば令和2年4月30日だ。
しかし令和が始まったのは『2019年5月1日』から。
つまりその前日である2019年4月30日は、まだ平成だったのである。
今はもう、平成が本当に遠いことのようだ。
「そういえば去年の今頃も、平成を偲ぶ記事を書いていたな…」と探したらあった。
新しい人に出会うと「平成生まれなんだ!」と驚かれた。
『平成』であることが、私のアイデンティティにもなっていた。
だから、平成が終わる2019年4月30日。どことなく寂しかった気がする。
(そのわりには新しい元号が令和だと発表されてすぐ、Twitterのプロフィールに『令和-XX年生まれ』とか書いたけど…)
令和は光り輝く未来になると信じていた
新しく始まった時代、令和。
令和はきっと、きらめくような時代になる。白い砂浜で拾った貝殻みたいな、そんなきらめき。
何の根拠もないけどそう信じていた。
多分この気持ちは、20世紀が終わって21世紀になるときも同じだった。
21世紀が始まるときも、同じように『未来への希望』を抱いていた気がする。
21世紀になれば、科学力も進歩して、動物と会話できると思っていたし、誰もが宇宙に行ける。そんなことを考えていた気がする。
そんな21世紀すら、もう約20%が過ぎ去ろうとしているんじゃないか?
残りの約80%で、どこまで未来は明るくなれるんだろうか。
21世紀は明るいと言えるんだろうか。
21世紀に内包されている令和も、明るくなれるんだろうか?
まさか令和がこんな時代になるとは
まさか令和がこんな大変な時代になるだなんて。
こんなふうに時代が変わるとは、1年前は誰も想像してなかっただろうに。
令和が始まって数ヶ月した頃は、まだ世間は明るかったというか。
個人的な話だが、令和元年の夏、私はうたプリの劇場版に出会い、何度も映画館に足を運んでいた。
令和の思い出は何?と聞かれたら「うたプリ!!!!!泣泣泣」と答える。
まあ令和の初期がこんなふうにうたプリに狂わされていた頃なので、令和はもっと楽しくなると思っていた。うたプリすごいな。
あーでも令和初期といえば、体重にもすごい悩まされていた。(令和関係ある?)
今はもう気持ちがだいぶ落ち着いたけど、体重にもめちゃくちゃ悩んでいた。
今を精一杯、楽しむしかない
今の自分にやれることは『楽しむこと』くらいなのかなって思ってる。
こんなことを言えるのも、私がまだ大変な事態を目の当たりにしてないからなんだろうけど。
あと当たり前だけど、可能なかぎり人と接触を減らすとか、どうしても外に出るときはマスクをするとか、うがい手洗いをするとかはやってる。
それらをやったうえで、あとは楽しいことをやってさ。
そんなふうに令和を過ごしていきたい。もう平成には戻れないので。
令和がもっときらめくものになればいいなと思う、平成初期生まれからでした。