プリンセスかつエンジェルの膝野まえ(@hizano_mae)です。
『劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEキングダム』を何度も観に行ってしまいます…もう中毒だよね…
どうしてこんなに何度も観に行ってしまうんだろう、と思って、考えてみたんですよ。
マジLOVEキングダムは『わたし』に直接語りかけてきてくれる、『アイドル』と『わたし』の物語だから、何度も観に行ってしまうと思うんです。
これまでのうたプリは『わたし』が不在だった
うたプリ出戻り女ということもあり、不足している知識も多々あるため、ゲーム版とアニメ版(というかアニメシリーズ)を基準に話をさせてください…
(ゲーム版については、RepeatとDebutとAll StarとAll Star After Secretらへんを主軸に話をします。Musicは割愛。シャニライはやってないです。今ってゲームはどうなってるんだ…?)
思い返せば、ゲーム版もアニメ版も『わたし』という存在はいなかったんですよ…
ゲーム版にいたのは『主人公』で、アニメ版にいたのは『七海春歌』だったんです。
ゲーム版は『アイドル』と『主人公』の物語
ゲーム版は『アイドル』と『主人公』の物語でした。
とはいえ、主人公の名前を変えることはできます。
だから自分の名前でゲームを進めることもできます。
けれどそれって、あくまで『自分の名前をつけた主人公』なんですよ。
『主人公』という媒介を通して、『わたし』は『アイドル』たちと恋愛や音楽をしていたんです。
現に『主人公』のビジュアルは、ピンク色のボブヘアーに黄色の瞳の少女と決められています。あと多分ですけど、来栖翔よりも背が低い…
(ゲームの中で、主人公が「わたしより少し背の高い翔くんに、頭をポンポンとされた」みたいな描写があったはず)
このようにゲームでは、セリフやビジュアルが既に決定づけられている『主人公』が存在しています。
そしてその『主人公』が、『アイドル』たちと恋愛をしていきます。
そこに『わたし』は、いません。
アニメ版は『アイドル』と『七海春歌』の物語
言わずもがなといいますか、アニメ版に『わたし』は、いません。
あれは『アイドル』と『七海春歌』の物語です。
視聴者であるわたしたちは、完全に神の視点からアニメを見てます。
そりゃアニメ版だって、アイドルたちがライブで歌うシーンはありますよ?
けれどどこかで『七海春歌』という存在は出てきます。
ライブ前に、七海春歌とハイタッチやハグをするアイドルたちを見たやろ、みんな…
つまるところアニメは、アイドルたちの気持ちが『七海春歌』に向けられているのを延々と見ているわけです…
「七海、好きだよ………きみの歌が!!」「好きです………あなたの歌が!!」だもんね…
(こんなふうに倒置法を使った告白も、視聴者として見ている分には好きだけどね。それにしても本当に倒置法の告白が多くてすごいよなぁ…)
(っちゅーか待って、アイドルたちが七海春歌に告白しているのを、わたしたちは延々と見ているの…? どういうこと…?)
(4期レジェンドスター第1話で、わたしの最近の推しである瑛二くんが、七海春歌の手の甲にリップ音を立ててキスをしてるのを、わたしはどんな顔で見ていた…?)
まとめると、アニメシリーズは『アイドル』と『七海春歌』の物語なんです。
ライブのシーンに『わたし』はいるかもしれませんが、それでも『七海春歌』という存在の大きさには適いません。
劇場版には『わたし』が存在している
劇場版は、明らかに『わたし』が存在しています。
アイドルたちが紡ぐ言葉も愛の歌も、全てが、彼らのファンである『わたし』に向けられているんです。
『主人公』という媒介を通してでもない。
『七海春歌』に向ける好意とは別物の、ただのファンに向けてではあるけれど。
『アイドル』の愛が『わたし』へと、向けられているんです。
彼らの笑顔も、歌も、言葉すべてが『わたし』に向けられている。
ゲームやアニメでは味わうことのできなかった体験が、劇場版では体験できる。
今までと違って、何かを媒介としたり、第三者としての視点ではなく、『わたし』自身が『アイドル』と触れあうことができる。
映画を観ているたくさんの『わたし』が、最後に揃いも揃って泣いてしまうのも、『アイドル』からの愛をもらったからだと思います。
愛をもらいたくて、そしてもらった愛を返したいからこそ、『わたし』は何度も映画館に足を運んでしまうのだと思います。
マジLOVEキングダムは『アイドル』と『わたし』の物語
もうね、うたプリ出戻り女が何を言ってるんだって話ではあるんですよ。自覚はあるんですよ。
でもどうしてもここにこうして書きたかったんです。
ゲームやアニメと違い、劇場版には確かに『わたし』が存在している。
今までのゲームやアニメは『わたし』がいなくても、そこに物語があった。
だけど劇場版は『アイドル』のファンである『わたし』がいないと、物語が成り立たない。
だから劇場版は『アイドル』と『わたし』の物語だと、思うのです。